■小西 和(こにし かなう)

香川県尾長町出身,岡山中学(現,岡山県立岡山朝日高校)を経て1890年札幌農学校(北海道大学の前身)入学で,新渡戸稲造と師弟関係。

明治末の1911年に瀬戸内海に関する総合的な書物「瀬戸内海論」を刊行し,瀬戸内海を新しいまなざしで見つめ,瀬戸内海の素晴らしさを日本人に広く紹介し,いち早く瀬戸内海の公園化構想を考え実現した「瀬戸内海国立公園の父」といわれている。 

 

[瀬戸内海論・目次](1911年刊行)

  第1   瀬戸内海とは如何

  第2   瀬戸内海の構造

  第3   地表と地質と土性

  第4   沿岸の山河と湖沼

  第5   瀬戸内海の海岸線

  第6   瀬戸内海の港湾

  第7   花彩島中の花彩島

  第8   内海の広狭と深浅

  第9   瀬戸内海の潮水

  第10 内海方面の気象

  第11 海陸の生物と産業

  第12 内海の水運と水師

  第13 瀬戸内海と人生

                                                                                                                      第14 内海関係の23の学術   


■田村 剛(たむら つよし)

岡山県倉敷市出身,岡山中学,第六高等学校(現,岡山県立岡山朝日高校)を経て1911年東京帝国大学農科大学へ進学。

卒業後講師を経て林学博士となり,内務省嘱託として国立公園指定のための候補地調査を行い,我が国の国立公園制度を創設した「国立公園の父」といわれている。

1930年に鷲羽山と備讃瀬戸の多島海景観を発見し,瀬戸内海国立公園の骨格とした。

 


夕暮れの備讃瀬戸
夕暮れの備讃瀬戸
御手洗港(大崎下島)の若胡子屋跡
御手洗港(大崎下島)の若胡子屋跡